ゆたか学園での生活もそれなりに過ごし、気が付けば年長になっていた。
この頃、お母さん達の園の出入りが多く、何となく慌ただしくなってきた。

それと言うのも、卒園後の進路相談が始まったからです。

選択肢はふたつ・・・。

養護学校の小学部か、校区の小学校か・・・。

私は、校区の小学校にやろうなんて事は、この頃は全く頭にありませんでした。
ところが、ある日真弘を迎えに行って帰って来ると、玄関の前に一人の男性が立っていました。

その男性は、校区の小学校の特殊学級の担任らしく、先生が言うには・・・

先生 「真弘君は、卒園後の進路はもう決めてますか? ぜひ、校区の学校へ通わせて下さい。例え障害児でも、校区の学校へ行く権利はあるのですから、それを主張しなくてはいけませんよ!真弘君のためにも・・・」

その先生は玄関の前で40分ほど、熱く語って帰って行った。

それからも、何度も何度もやって来て、その度に熱く語って帰るのでした。

私は、その先生の熱心さに負け、真弘を特殊学級に入学させようと決心しました。

ところが、とても簡単に考えていたら、大変だったのはここからで・・・校区の小学校に入学を希望する場合は、教育委員会と面談をしなければいけないと言うのです。

私は決められた日に、真弘を連れて行きました。
その日は、真弘に簡単な作業をさせて、知能指数がどのくらいかを調べます。

物の名前を言わせたり、糸通しをさせたり・・・

自閉症とは、とても厄介で、自分が興味のないことは出来ることでもしないんです。

いろんな道具を目の前に置かれて、真弘はもう、自分の世界に入ってしまいました。
自分が好きなように遊びたいのです。

当然、言われたことはしないので、そこで、【できない】の判定がついてしまいます。

その日のうちに養護を薦められ、私が渋っていると、暫く日にちを空けて、もう一度面談する事になりました。

2度目の面談で・・・

教委 「お母さんのご希望は、特殊ということですが、先日の判定の結果では一応養護の判定がでておりまして・・・。」

私 「わかってます。でも、私としては特殊に・・・。下の妹も4年後には小学生ですから、できれば兄妹、同じ所に通わせたいし・・・」

教委 「お気持ちは、わかりますが、そんな理由で進路を決めるのはどうでしょう・・・?そんな見かけにこだわらず、もっと真弘くんのことを考えて・・・」


ぷっつん!!

その瞬間、私の体中の神経が音をたてて切れた・・・!

私 「じゃあ!あなたに真弘のことが、どのくらいお分かりなんですか!?今始めてこの子を見たのに・・・」

教委 「・・いえ・・私はただ、判定に基づいて・・・」

私 「判定?!たった3・40分ちょこちょこっと作業させて、それだけでこの子の全てが決定してしまうわけですね・・・?言われた事をしなかったからと言って、それで全て【出来ない】の判定になってしまうんですね?たった3・40分で、この子の進路を決める事の方が無理じゃないですかぁ?!」

教委 「・・・。」

私 「この子の事をもっと知ろうと思ったら、1ヶ月位園に通って、観察するべきでしょう!!」

教委 「市内に障害児がどのくらいいると思うんですか?」

私 「・・・だったら!親の判断に任せるべきでしょう!?私は6年間この子を見ています!」

教委 「わかりました!追って連絡しますので!」

その後教育委員会からは何の連絡もなく、小学校の入学案内も届かず・・1ヶ月が経ち・・2ヶ月が経ち・・やっと、入学案内が届いたのは、小学校の入学式の1週間前だった。

・・・ところが・・

やっとの思いで、入学したのに、あの熱血先生は他の学校に異動になっていた。


なんなんだよぉ~!
自分が誘ったくせに~っ!